こんにちは(^^)/
玉ねぎを切っていたのに中指まで切ってしまって血が止まらないアナボリッ子です。
★とりあえず激痛中指の出血模様(‘ω’)
包丁でスっと左手中指を切ってしまって、結構な皮膚がめくれたので血が止まりません。
バンドエイドをしている時はそんな痛みもないので、治った!!と外してシャワーを浴びたら、ダラダラと血が流れ出てきて、石鹸やシャンプーがしみるしみる(;’∀’)
気の遠くなるような激痛が走り、緊張感に溢れた入浴体験をしましたよ。
んなこたどうでも良いですね。
そもそも自意識ってなによ。
「自意識とは」って調べて、ふわっと分かったつもりになりました。
とにかく自分を意識しすぎるわたくし。
それを自意識過剰と言うんだよ、とは理解していますが。
それよりも、もっとなんというか、恐怖まで感じてしまうほどの重症な自意識。
幼き頃は、とにかく友達が私の悪口を言っている気がして常におどおど。
思春期の頃は、周囲の目が怖くて何をするにも思い切って行動出来ない。
お年頃になればなったで、周囲との容姿の差に落ち込み。
でもこれらは皆あると思います。思春期なんて特にそうなりますよね。
恥の多い人生をあゆむ↓↓
自意識過剰重傷者の何が厄介かと言うと、恰好をつけてしまうところ。
自信がないくせに、恰好をつけるという矛盾した行動をとってしまうのです。
おどおどした挙動不審者が誰も見ていないのに、恰好をつけてしまう。
例えば、体育の時間なんて最たるもの。
特に球技は地獄で、周囲の目が気になってボールを持つと緊張で身体が動かない。
バスケはボールを持ったら足が動かない。
ジャンプするのもイヤ。
バレーボールやバドミントンは上を向きたくない。
そんなんばっかり。
なぜなら緊張するから。見られていると意識するから。
誰も見てねーよ!!
思春期を過ぎれば分かる。誰も私のことなど見ていないし興味ない。
でもその頃は分からなくて、苦しいまま。
みんなが私のことを批判し、私を見て笑っている。
気にしすぎと言われても、やめられない。
全ての行動が緊張からくる挙動不審で、家に帰ればぐったり。
イタイ子(;’∀’)
恰好をつけても大概失敗に終わる。
さて、自信がないくせに恰好をつける代償は他にもあります。
冷めるんです。冷めた態度をとってしまうのです。
そして物事を斜めから見ます。これはかなり損をする生き方です。
素直に元気に「嬉しい!楽しい!大好き!」と言えない代償はかなり大きい(:_;)↓↓
まずね。暗い(‘ω’)
よって友達があんまり出来なくて内に籠る。
すると自問自答が多くなり常に頭の中がうるさい。
うるさいから眠れない。眠れないからしんどい。しんどいから身体を動かせない。運動しないから体力がない。体力がないから暗い。という無限ループ。
試験終わりの表参道!!花火大会!!ディズニーランド!!
これらを全て断った罰当たりな高校時代。
せっかく誘ってもらったのに。
断るアホなわたし。
自意識が強すぎて+自信がないし+恰好をつけなければいけないので疲れるし。
で、面倒になってしまって断ってしまうのです。
しかも、私みたいなのと行っても楽しくないでしょ的な、うざい考え方をしてしまう。
珍しく無理にはしゃぐと余計なことを言ってしまうので、帰宅後は必ず一人反省会ですよ(これは今でもやってしまう(‘ω’)
こうして陰へ暗へと籠ってしまい、恰好つけてもロクなことがないと知りながらも、やめられなかったのです。
初めて自分から口説いたら幸せが訪れた。
けれども、なんと。
こんな私にも幸せが訪れました(*’▽’)奇跡。
大学に入学した時に出会いがありました。
とっても素敵なお友達との出会いが。
優しくて面白くて素直で楽しくて。
もうこれは口説くしかない!
と、この私が猛アタック。
頑張って話しかけて遊びに行って素直に友達になりたいと伝えて。
そのおかげで親友となりました。
初めてでした。
友達になりたい!と心から強く願って、それを素直に伝えるなんて行動は。
なので自分のややこしい性格を改め、誠実になろうと努力しました。
素直になって何でも楽しめるようにと。
たくさん遊びに行こうと。
その子とは今でも大切な親友です。
この出会いがなかったら、口説かなかったら、私はどうなっていたか恐ろしい(-_-;)
その親友のおかげで人づき合いも学べたし、色んなことが上手く回るようになって。
それまでとは真逆の充実した学生生活を送ることが出来ました。
遊びに行くのも楽しめるようになったし、アルバイトや飲み会などもたくさん経験して内に籠ることがなくなりました。
でもねえ。
これでめでたし。とはならなかった。
これらは努力して出来たことなので、なかなか自然体とまでは到達せず。
やっぱりややこしい自意識は、今でも完全に剥がれていません。
恰好をつけるクセは抜けないし、一人反省会は必ずやるし、内に籠って陰に入るし。
素直になるって本当に難しい(/_;)
筋トレでは克服できないかも。
ここでいつもの筋トレですよ。
体力も底をついて、体型もホルモンバランスも崩れに崩れた40歳。
毛布をかぶってソファにくるまる日々が嫌になって、一念発起で始めた筋トレに、ほんっとに救われて人生が好転したのですが。
この自意識だけは弱まらず、ぶくぶくと溺れたままなのです。
筋トレは見た目。
この考え方は本当に良くない。
でもさ。
筋肉がつくと身体のラインが変わって、もんすごく見た目が変わります。
顔つきも変わりました。
私の場合は、鎖骨から腕にかけてのライン、肩甲骨から背中のライン、そして姿勢が良くなったので、腰の位置が高くなりました。
また体重が安定するのも嬉しいし、何と言っても顎のラインが引き締まりました。
でも、これでも改善されないのが「自意識」です。
外見が変わった分、さらに外見を気にしてしまう。
褒められれば嬉しいくせに、恰好つけて否定して、でも人一倍見た目を気にしてしまうのです。
筋肉をもっとつけないと!
もっと痩せないと!
もっと変わらないと!
などなど一人焦って自分を追い込んでしまって(;’∀’)
自意識をぶっ壊すには勇気がいる。そして怖い。
周りと比べて自分を評価してしまい、自意識に溺れてしまうわたくし。
なので、このややこしい自意識だけは筋トレではどうにもならないかも。
筋トレで人生をやさしくしようと目論んでいるのに。
でも。
でも大丈夫かも。何とかなるかも。
というのも、私は唯一素直に喜べる褒め言葉があるんですよ。
それは重量が伸びて褒められること!
数字って良いですねえ。
スクワットやベンチプレスの重量が伸びると、やったー!と喜べる。
すごいですね~と褒めてもらえると「ありがとうございます」と言える。
これだけは素直に受け入れられるのです。
こういう素直さを少しずつ増やしていきたい。
なのでやっぱり筋トレを頑張って、素直さも増やしていくしかない。
周りを気にせず、評価も気にせず、好きなことをやるなんてすごく難しい。
どうしても周囲の目は気にしてしまう。
言葉にしたら何て思われるだろうって不安もつきまとう。
そこをぶっ壊す勇気を持てたら。
人と比べず、評価を気にせず、黙々と重量を増やすトレーニングを頑張って。
ボディビルやパワーリフティングなどの大会に挑戦される方から刺激をもらって。
年齢や性別関係なく、目標に向かって努力している姿を見て感動をもらって。
「私なんて」と思わないよう気をつけて。
好きなことを頑張れる幸運に感謝して。
理想の自分に近づけるよう頑張る。
こうして生きていければ、きっと人生はやさしくなりますね(^^)/
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